れりびぃ~不登校と言わないで~

まさか、自分の子どもが、こんなことになるとは。
毎日が手探りの日々。
今はまだ、何が正解かわからない。
今できることを、つづり、つぶやきながら、、、

母の相談相手

私には相談相手が数名いる。


一番頼りになると感じているのは

学校の児童支援専任の先生

大野先生(仮名)


その次は

同率で

スクールカウンセラーの

櫻井さん(仮名)


もひとりの同率

役所の相談員で

相葉さん(仮名)


子ども専門の心療内科ドクター

二宮先生(仮名)


現担任

松本先生(仮名)


元担任

木村先生(仮名)



大野先生は

息子が5年生のときも、児童支援専任として、元担任から紹介された。


始めて紹介された時は

すでに学校に行けなくなって1ヶ月たった頃だった。


「いろいろ、相談にのってくれる先生です」


って紹介されたときは、

その存在がどういうことを意味しているか、わからずにいた。


あとになってから

この先生の存在の大きさをヒシヒシと

実感することになるのです。。

前兆②

夏休みが終わって、とうとう、初登校の日。


初といっても、

3年前まで通っていた学校なので、懐かしいねーって思いながら、息子と二人で学校までの通学路を歩いて行った。


学校に着いて、まずは体育館で朝礼があった。

うち以外にも

他の学年の転入生がいた。


付き添って来た保護者たちは、本人たちとは別の場所から朝礼を見届けた。


懐かしい顔ぶれを見つけて、ホッとした。

みんな、大きくなったなー

見覚えのある、先生たちも見つけた。


朝礼が終わって、それぞれのクラスに向かう。


教室の前に来たところで、私はここまで。

あとは、担任と共に教室へ入って行く息子を見送った。


クラスメイトは、息子のことを覚えていてくれている様子だった。


このとき

息子は、ドキドキしながら教室に入ったことだろう。気持ち悪くなるほど。。。


あとになって

3才上のお姉ちゃんが、

転入した最初の日、

勇気を振り絞って、頑張って登校した❗

と話していた。


このときの頑張り、このあとも、私の見えないところで、いっぱい頑張ってきたことだろうー


そのことを

もっともっと、気付いてあげられていれば、良かったのかなー


その後、お腹が痛くなって、学校を休むことに。。。


最初の頃は、

月に1~2回だったように記憶している。


このときから、前兆が始まっていたんだと、今になって思う。


学校から帰ってきて

速攻、宿題を済ませ、ゲームに熱中していた。


5年生になると

塾や習い事でみんな忙しいんだろうなー

と勝手に思っていた。

前兆①

5年生の夏、我が家は、3年間の海外生活を終えて、日本に帰国。


夏休みを使って、引き上げてきたので、

帰国後、しばらくの間は、祖父母宅に居候させてもらって、私は引っ越しの荷物を片付けていた。


あとになってから思い起こすと、

この頃から前兆があった。


時々、家にいるとき、めまいがするとか、胸が痛くなったとか訴えていた。


久しぶりに戻ってきた日本の夏は、

これまで住んでいた土地とは

違い

まさに死にそうなほど暑かった。


気候の違いもあるし、

環境の変化になかなか馴染めないよねー


って、その程度に思っていた。


ところが、

のちに、

このときの症状が前兆だったと

あとになって気づかされたのだった。